教員一覧

遊佐 徹(ゆさ・とおる)

教育分野(領域)

外国語・外国文学分野(中国言語文化学)

研究・教育のキーワード

中国文学、中国文化、表象文化、近代文化史、時間論、空間論、身体論、中国語圏映画、中国漫画・アニメ

研究者としての私

今でこそ、文学部で中国文学(『三国志演義』や『封神演義』等に代表される小説作品、近代文学、近代思想)と中国近現代文化史(写真や映画、漫画等の表象文化、時間論や空間論、出版文化)を講じていますが、大学に入るまでは中国には全く興味も関心もありませんでした。家にあったホーローのマグカップの裏底に「中国製造」の文字と孔雀のロゴを見付けた時、一瞬、海の向こうを意識したぐらい。そんな私も、入学後ひょんなことから第2外国語で中国語を履修することになって中国と関わるようになりました。やがて学部を文学部に決め(私の頃は入学後2年が教養課程、その後に成績と志望に応じて学部を選択するシステムでした)、講座に中国文学を選んだことで本格的な勉強が始まりましたが、その頃には漠然と研究者を志すようになっていました。特に3年生の夏休みに北京を訪れた時大変なカルチャーショックを受けたこと(その詳細が聞きたい方は研究室に遊びにきてください)が契機になったと思います。結局、大学院進学後、北京大学に留学もし(といってもある政治的事情で授業はほとんど開講されなかったため「遊学」というのが相応しいものでしたが)、専門家となるための修行を積んで今に至った訳です。

学生、院生時代は読書に明け暮れました。ある作家が青年期に年間350冊は読んだと回想していたことに触発されて、文字通りの濫読の日々を過ごしました。幸い通学に片道2時間を要していたのでそれを利用して年間に300冊ぐらいは読めたと思います。学生時代のトータルで2500冊以上。この時の蓄積が今の私を支えています。

教育者としての私

恐らく皆さんの多くが大学受験の際に「何故、文学部なんか受けるの?」と周りの人たちからやや訝しげに問いかけられ、また、今後は「文学なんて何の役に立つの/役に立ったの?」と心無い言葉を投げかけられる経験を持つことになるでしょう(これは私の経験でもあります)。ある意味で、これまでの私の人生はそうした質問、反応に対する明快な答えを探す旅でもありました。それゆえ、その答えをもって授業に臨み、また様々な形でそれを披露もいたしますが、皆さんも自分でその答えを見付ける努力をしてください。そうした自覚と意思があれば文学部での勉強は「趣味」から「研究」に進化、向上してゆくはずです。

また、これも私の経験でもあるのですが、皆さんはこれまでテストの度に「国語(つまり文学)は勉強の仕方がわからない」と嘆いてきたことだと思います。大学での勉強では、そうした不安、疑問も解消することになるでしょう。文学も人文科学の一分野であるからにはれっきとした「科学」といえます。「科学」であれば研究方法が当然存在する訳で、それを学び取ることでこれまでの「国語」の勉強とは異なるレベルで「文学」に向き合うことができるようになるはずです。「形式と内容」、「典型と普遍」、「理論と実践」これらは、私が講義の際に示す研究方法の基軸の一端ですが、このことを念頭に置くだけで文学は随分「科学」的存在になります。

どうです、少しは文学研究の輪郭が見えてきたのではないですか。では、詳細は授業にて。

私が書いたもの

◎著書は以下の3点

  1. 『蠟人形・銅像・肖像画―近代中国人の身体と政治』(白帝社、2011年)
  2. 『中国近代文化史研究―時間・空間・表象―』(岡山大学文学部研究叢書31号、2011年)
  3. 『倭寇図巻と抗倭図巻―近世中国の倭寇イメージ』(勉誠出版、2016年、共著)

1と2は中国近現代文化史に関わるもの。1を書いたことで中国の蠟人形専門家と見なされることになりました。3では「倭寇」を描いた中国の小説(豊臣秀吉も登場したりします)の紹介と分析をおこないました。

◎論文は本にしたものも含めると40数篇ありますが、その全貌を知りたい場合は国立情報学研究所のCiNiiというデータベースで検索してください(他の教員の研究成果についても同じです)。皆さんに面白く読んでもらえそうなものをいくつか紹介しておきましょう。

  1. 「「五百年」小考」(『饕餮』第1号、1993年):「桃花源」の住人たちが外界と交流を絶つ時間が「五百年」間でなければならなかった意味を論証。
  2. 「街路と英烈―1946年の北京における「記憶の場」の形成とその現在」(『中国文史論叢』第5号、2008年):北京には3本だけ実在の人物名が付けられた街路があるのですが、その何気ない事実から民族の「記憶」の作られ方のドラマを明らかにしました。
  3. 「やまとひめと中国近代」(『岡山大学文学部紀要』第55号、2011年):日本が近代国家に生まれ変わる過程で西洋諸国同様に「女神」を必要としました。その「女神」として創造されたのが「やまとひめ」で、その存在は近代の日中関係とも微妙に交錯することにもなります。