宗 周太郎(むね・しゅうたろう)
教育分野(領域)
歴史学・考古学分野(東洋史学)
研究・教育のキーワード
中国古代史、経済史、流通、交通、簡牘、出土史料
研究者としての私
今から二千年以上前、人々はどのような生活をしていたでしょうか? インターネットはおろか、電気もガスもない、自動車もなければ冷蔵庫もない、そんな時代。現代の我々ははるか昔の時代を想像するとき、つい不便で貧しい生活だったと思いがちですが、当時実際に使われていた文書や遺物(史料)からは、相当に文化的な生活を送っていたことが見えてきます。こうした二千年以上前の史料は、まさに今も続々と発見され続けており、日々新たな発見が得られています。
古代中国では戸籍制度が整備され、制度上、帝国の運営は地方の隅々まで張り巡らされたネットワークによって維持されていました。そうした管理を実現した様々な制度の一つには律令(法律)があり、後に日本にも中国の律令が受容されることになります。法律以外にも文化・思想・言語など、様々な分野で東アジアは相互に影響を受け、とりわけ古代においては中国大陸に存在した国家の影響が大きな物でした。現代日本の中に、二千年以上前の記憶が様々な形で残されていると言う事ができるでしょう。
こうした過去の様々なことがらを研究していくことは、個人の知的好奇心を満たすことはもちろん、現代のグローバル社会に生き、かつこれまで想像もしなかった様々な事態に直面する我々に大きな示唆を与えてくれます。歴史をひもとけば、当時の人々がかつてない事態に直面し、時に流され、時に乗り越えてきた場面に数多く出会います。歴史の大きな流れを感じながら、それに連なる今を生きる。そうしたことを感じながら、日々学んでいます。
教育者としての私
大学で人文学をやる意味は何か?
このあまり楽しくないのによく問われる質問ですが、この答えを他者に求めることをせず、自分で答えを考える人になりたいと考えています。そして岡山大学で学ぶ人たちもそういう人になってくれると嬉しいなと思います。例として以下に私が考える人文学(特に歴史学)を学ぶ意味を少し述べたいと思います。
現代社会は変化目まぐるしく、豊かな生活の一方で悩みが多い時代です。我々は社会を作って生きていかざるを得ませんが、そうした環境のなかでは、「当たり前」という言葉が重くのしかかりがちです。そしてその当たり前からずれた時、大きなストレスに苛まれます。その当たり前の枠におさまろうと努力している人も少なくないですが、その努力をいつまでも続けていくのは大変な苦労です。
しかしながら、そうした当たり前は実は絶対的・普遍的なものではありません。歴史的経緯や、個別偶発的な原因によって生み出された、特殊事例であることもしばしばです。それまで当然だと思われてきた風習、盤石のように感じられた政治権力、そうした物がいともたやすく崩れ去る場面は、史上数多くあります。現代の我々が持っている当たり前も、いずれ遠くない時代には歴史の遺物になっている可能性が十分あります。
数多くの過去の事例から今生きている社会や文化の当たり前を疑い、それらがどのように作られたかを考える。その過程や背景は歴史からこそ学べるものです。この当たり前という幻想を解き明かすことができれば、もっと今が生きやすくなるのではないでしょうか。こういった学びは、他人やAIに聞くだけでは決して得られず、自分で考えることで初めて見つかる物です。なぜならその当たり前に対する違和を感じ取れるあなたにこそ、空気のように漂う当たり前というものを捉え、見直す力があるからです。
あくまで上記で述べたことは私の考えであり、人によって多くの考え・答えが見つかると思います。みなさんにも、大学で学ぶ中で自分の考えを見つけてほしいと思います。
私が書いたもの
単著として『中国古代流通史序説』(臨川書店、2026年)があります。国家は流通をいかに管理しようとしたのか、という問いから出発し、物的流通・商的流通の二つの側面に着目し、中国古代国家が流通経済に果たした役割を解き明かそうとしたものです。本書は博士論文をもとにしており、各種学術雑誌に投稿した論文を中心に構成されています。そのためやや専門性が高いですが、家畜の売買やパスポートの発行など、古代の実生活にも言及しているので、二千年以上前の風景を脳裏に浮かべながら読むと少しはとっつきやすいかなと思います。
そのほか、共著として宮宅潔編『嶽麓書院所藏簡《秦律令(壹)》譯注』(臨川書店、2023年)があります。本書は今から二千年以上前、秦という国で使われていた法律の日本語訳注で、遥か古代において既に事細かに法律が整備されていたことがわかる本になっています。現代と同じところ、違うところ、どちらの点からも興味深い内容が含まれていますので、図書館などで手に取ってみてください。