教員一覧

袴田 玲(はかまだ・れい)

教育分野(領域)

哲学・倫理学分野(倫理学)

研究・教育のキーワード

キリスト教思想、キリスト教倫理、東方キリスト教(ビザンツ正教)、 修道制と修道思想、死生観、魂(心、意識)と身体、説教

研究者としての私

私の専門はキリスト教思想、とくに東方キリスト教と呼ばれる世界を生きている人々の思想です。

私が中学生・高校生のころ、日本では人工生殖技術や脳死や臓器移植に関する議論が活発になされ、法整備が進められ始めていました。当時の私にとって驚きだったのは「人間の生や死の境界線が自明なものではない」という事実であり、そこから人間の意識(心や魂とも呼べるでしょう)と身体との関係はどうなっているのか、人間が生きるとは(あるいは死ぬとは)何か、そもそも人間とは何か、といった疑問が湧き上がってきました。大学に入ると(不真面目な学生なりに)哲学・倫理学・心理学・文化人類学といった授業に触れ、「人間とは何か」という問いがさまざまな人文系学問に通底する問題意識であると同時に、人類の歴史と共に古くから考究されてきたということに気づかされました。なかでも宗教学との出会いは鮮烈でした。人間の生や死、そしてその生き方について、真正面から取り組んできた世界のさまざまな宗教が、〈学問の対象〉となりうると知ったことが、この道に進む直接のきっかけとなりました。研究対象が現在のものに定まるまでには紆余曲折ありましたが、ビザンツ帝国時代に生きた東方キリスト教(正教)の修道者たちの祈りの実践および人間と世界をめぐる彼らの思索に惹かれ、この人たちを理解したいと強く思いました。キリスト教についても、彼らの使用言語であるギリシア語についても、ゼロからの勉強で、挫折しそうになったことも数えきれないほどありましたが、学ぶほどにまるで大河のような東方キリスト教の伝統の豊かさを実感し、焦らずじっくりと一生をかけて研究するに値するものであると今では確信しています。

これまで、グレゴリオス・パラマス(c.1296-1357/9)というビザンツ帝国時代末期を代表する東方キリスト教思想家(修道士であり、神学者であり、司牧者でもあった)における人間観をその身体観を軸に据えて研究してきましたが、現在はとくに彼の遺した説教テクストにおける〈愛〉や〈救い〉の概念、あるいはその女性観を中心に研究を進めています。そして、東方キリスト教思想の特徴をより明確にするために、西方キリスト教思想やイスラーム思想との比較研究にも力を注いでいるところです。

教育者としての私

情報とスピードがものを言う現代においても、そうであればこそなおさら、焦らずじっくりと対象に取り組むことの重要性を学生の皆さんには認識してもらいたいです。生身の人間であれ、もう生きてはいない人の思想であれ、対象(相手)を完全に理解することはできません。まして、対象の生きた時代や文化が自分のものと違えば、理解はなおさら困難なものとなるでしょう。それでも、自分以外の人や世界(他者)への関心、いい意味での好奇心、理解したいと思う気持ちを絶やさずに、敬意と忍耐をもって対象とかかわりつづけること――これは研究においても、日常の生活においても、とても大切なことであると私は考えています。そうして対象とかかわっていくなかで、逆に自分自身のことが謎・問題として浮かび上がってくることもあるでしょうし、思いもかけなかった新たな世界が見えてくることもあると思います。皆さんには学生生活を通じてそんな経験をぜひ重ねていってもらいたいのです。とりわけ、倫理学とは人間が(「ただ生きる」のではなく)「よく生きる」とは何かという古代ギリシア以来の問いかけを基に、人間の一生や社会のさまざまな場面における一つ一つの具体的な実践・選択に深くかかわる学問ですから、皆さんにも自らの選択・生活・生き方を通じて倫理学を探求していってもらいたいと願っています。

私が書いたもの

予備知識がなくても読みやすいものとしては、「共通の崇敬対象としてのマリア―東方キリスト教とイスラーム―」(佐野東生・久松英二編著『キリスト教とイスラーム・対立から共生へ』、晃洋書房、2024年刊行予定、共著)、「東方神学の系譜」(伊藤邦武/山内志朗/中島隆博/納富信留責任編集『世界哲学史3』、筑摩書房、2020年、第2章33-54頁)、‘‘Gregory Palamas’ Interpretation of the Dormition of the Mother of God’’, in  Contribution of Women to Con-viviality: In/Ad Spiration to Convivials, Kyōyūsha, 2019, pp. 70-84、「身体への愛は語りうるか―エイレナイオス『異端駁論』における「肉の救い」と東方キリスト教における身体観」(宮本久雄編著『愛と相生 : エロース・アガペー・アモル』、教友社、2018年、65-88頁)、「聖霊の神殿としての身体」(『福音と世界』2014年9月号、18-22頁)、「神の面前にある人々の肖像『大いなる沈黙へ』フィリップ・グレーニング監督インタビュー」(『福音と世界』2014年7月号、8-14頁、共同インタビュー)、「ビザンツ正教思想における新プラトン主義」(水地宗明/山口義久/堀江聡『新プラトン主義を学ぶ人のために』、世界思想社、2014年、300-304頁)「ギリシア正教」(井上順孝[他編]『世界宗教百科事典』、丸善出版、2012年、124-5頁、共著)などがあります。

論文としては、「古代・中世キリスト教における〈女性〉イメージの多様性」、(『キリスト教史学』第77集、キリスト教史学会、2023年、3-20頁、共著)、「ヘシュカスムにおける涙の位置づけ」(『パトリスティカ―教父研究―』第23号、2020年、99-109頁)、「トマス・アクィナス『説教18「地は芽生えさせよ(Germinet Terra)」』におけるマリアの原罪についての理解とその可能性」(『中世思想研究』第61号、2019年、67-81頁)、「三一的存在としての人間―グレゴリオス・パラマス第六十講話における<神の像>理解」(『エイコーン』第48号、2018年、3-27頁)、≪ La compilation de la Philocalie et la modernisation dans l’Église orthodoxe », Cahier du Centre d’Études Multiculturelles de la Maison du Japon, vol. VI (2013), p.101-109、‘‘On the interpretation of the physical method of the hesychast prayer by Gregory Palamas’’, Patristica, Sup.Vol.3 (2011), pp. 39-53、「祈りにおける身体の振る舞い」(『共生学』創刊号、2009年、116-139頁)などがあります。