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植村 玄輝(うえむら・げんき)

uemurag*okayama-u.ac.jp(*の部分を@に変えてください)

教育分野(領域)

哲学・倫理学分野(哲学)

出身大学/大学院

慶應義塾大学文学部/慶應義塾大学大学院文学研究科

おもな所属学会

日本哲学会、日本現象学会、日本現象学社会科学会

研究・教育のキーワード

初期現象学、フッサール、ミュンヘン・ゲッチンゲン学派、ブレン ターノ学派、実在論と観念論、現代現象学、形而上学、知覚の哲学、行為論、社会存在論

研究者としての私

大学に入学して哲学の勉強をはじめたらあまりにも面白く、(既存の知識を手に入れる)勉強だけでなく(新しい知識を生み出す)研究もしてみようと大学院に進学しました。00年代前半の話です。進学してみたら研究は勉強よりもさらに面白いということに気づいてしまい、いろんな意味でやめられなくなってしまいました。そして今に至ります。さて、私が専門的に研究しているテーマは主に3つです。

第一のテーマは、ドイツの哲学者エトムント・フッサールに関する研究です。フッサールは現象学という哲学の創始者であり、20世紀哲学における最重要人物の一人といっていいはずです。しかし、実は彼自身の立場をそのまま受け入れた人はほとんどいません。こうした事情の背後にはさまざまな要因があるのですが、そのひとつは、ある時期以降のフッサールが一貫して保持した主張にあります。フッサールによれば「意識から完全に独立した世界」というものはありえず、逆に「世界がなくなっても意識は残り続ける」というのです。「観念論」と呼ばれるこうした主張は、多くの人にとって到底信じがたいのではないでしょうか(ちなみに、こうした主張が「一軒の家を見るとはどういうことか」のような妙に具体的な話と同居し、しかも両者が深い関係にあるところが、私にとってのフッサールの面白さです)。ハイデガーやメルロ=ポンティといったその後の世代の現象学者たちがフッサールを手厳しく批判したのも頷けます。それと同時に、疑問も出てきます。そもそもフッサールはどうしてこんな無茶なことを言い始めたのでしょうか。本人の書いたものや、本人を知る人たちが記したエピソードを読んでみるかぎり、フッサールは人目をひくために極論や暴論を言うようなタイプの人ではなさそうです。どうやらフッサールは、世界と意識の関係に関する自分の立場が正しいと本気で思っていたようなのです。彼の確信を支えていたものは何だったのでしょうか。学部生のころに抱いたこれらの疑問に十分な答えを出すことが、私のフッサール研究の当面の目標です。とはいえ、研究を進めるうちにフッサールの観念論が彼の哲学全体と深い関係にあるトピックだということがますます明らかになってきたので、この目標を達成する前に私の人生は終わるだろうという予感もすでにしています。と書くと悲しげに見えるかもしれないですが、ゴールを目指す過程そのものが楽しいのであまり気にしていません。

第二のテーマは、初期現象学(「ミュンヘン・ゲッチンゲン学派」)に関する研究です。フッサールの観念論的主張は、それが最初に表明されたときから非常に評判が悪く、当時フッサールの影響下にあった若い哲学者たちの多くは、フッサールに対して反旗を翻すことになります。その結果、フッサール現象学とは異なる独自の実在論的な現象学がミュンヘン大学とゲッチンゲン大学を主な舞台として発展するのですが、この潮流は、つい最近まであまり顧みられることがありませんでした。この半ば忘れ去られた「もうひとつの現象学」を掘り起こすという作業を、上のフッサール研究と並行して、博士課程の院生時代から続けています。今ではほとんど誰も読んでいない中途半端に古い(20世紀初頭の)ドイツ語の論文や本をひたすら漁るという少しマニアックな研究なので、面白がってくれる人は周りにそれほどいないのですが、やっている本人は楽しくてしかたないのでこれからも続けていくつもりです。

第三のテーマは、現象学的なアプローチによる現代哲学研究です。フッサールや初期現象学に関する私の関心は主に哲学史的なものであり、彼らを研究しているからいって、私は彼らの見解に必ずしも賛同するわけではありません。さまざまな哲学的問題について、私には私自身の考えがあるからです。とはいえ、自分の考えが正確にはどのようなものであり、それがどれくらい擁護可能なのかということは、きちんと考えてみないわかりません。というわけで、博士号を取得する前後の時期から、自分の関心に沿って現代の哲学問題に取り組むという研究も進めています。しかし、まったくの自己流で考えるのは効率が悪く、それでは本来達成できることさえできないだろうということで、現象学に関する哲学史的な研究の成果を、自分の考えを深めるための素材として用いることにしました。こうした研究は2000年前後から国際的にもじわじわと盛り上がっており、「現代現象学」と呼ばれたりもします。昔の人が考えたことについて考えるのは楽しいわけですが、それをヒントにしながら自分で考えるのも楽しいです。どちらも楽しいのでどちらかだけを選べと言われても困ります。

教育者としての私

「人文学概説」では現代哲学を題材として入門的な講義を行い、より専門的な「人文学講義」ではフッサールに関する哲学史的研究の成果を取り上げるという方針をとっています(いまのところ)。また「実践演習」では、現代哲学に関する日本語文献を題材としたディスカッションと現象学の古典的著作の講読を半年ごとに入れ替えていくつもりです。哲学と哲学史は、たとえば物理学と物理学史のように、簡単に切り離せるものではありません。このことをなるべく実感してもらえるように毎年の授業計画を立てているので、できれば複数の授業を受けてもらえると嬉しいです。

私のどの授業でも重視しているのは、「他人や自分の考えをなるべく正確に理解し、なるべく誤解の余地なく表現すること」と、「なるべく飛躍なしに考えること」です。もちろんこれらは学問全般に対して求められることですが、とりわけ哲学では、いい加減な言葉遣いや議論の飛躍によって何もかもが台無しになってしまうことがよくあります。哲学にとって、論証という手続きが他の分野よりもいっそう重要なものだからです。なんだそんなことか、と思うかもしれません。しかし、実際にやってみようとすると、これがけっこう難しいのです。ふだんの私たちは、言わなくてもわかることを省略しながら話をして、まあ大体こんな感じだろうという具合に考えを進めがちです。別の言い方をすれば、私たちの多くにとって、正確な表現と飛躍のない議論というものは日常から少しはみ出た不自然なものなのです。そのため、正確な表現と飛躍のない議論がきちんとできるようになるためには、それなりの練習が必要です。そうした練習のための場にもなるように心がけて、毎回の授業を準備しています。

また、演習形式の授業や卒論の指導では、「文献に書いてあることを読む」ということをみなさんに意識してもらうようにしています。これも簡単なことに見えるかもしれないですが、やはり実際にやってみようとすると意外と難しかったりします。自分の知らないことが書かれた文章に接すると、私たちはすでに知っていることを手掛かりにしてそれを理解しようとします。これは文献の読み方として間違っているわけではないのですが、哲学のように抽象度の高い事柄を頻繁に扱う分野の文献の場合、自分の思い込みをテクストに投影してわかったことにする(けれども、実際には派手な勘違いをしている)ということがよく起ってしまうのです。プロの哲学研究者でさえもこれをやらかすことがあり、私自身も、自分は誤読をしているのではないかという不安によく襲われます。というわけで、こうした失敗を根絶することはおそらく無理なのですが、失敗を減らすことはできます。演習の場では、そのためのスキルをなんとか伝えようと、日々工夫をしているつもりです。その結果、みなさんには私の試行錯誤に付き合ってもらうことになりがちなのですが、その辺についてはすこし大目に見てください。

いろいろ書いてしまいましたが、それ以上に大切だと考えているのは哲学を楽しむことです。慣れるまで大変ですが、こんなに面白くて楽しいものをやらない手はないです。

私が書いたもの

フッサール研究に関する今のところ一番まとまった成果は、

植村玄輝、『真理・存在・意識————フッサール『論理学研究』を読む』(知泉書館、2017年)

として出版されています。この本では、フッサールの観念論を研究するための準備となるような議論をしていて、部分的にはかなり細かい話になってしまっているので、いきなり読むのは大変なのではないかと思います。初学者向けのものとしては、ミネルヴァ書房からそのうち刊行されるはずの『ドイツ哲学入門』という本にフッサールに関する章を書いたので、いずれそれを読んでもらえればと思います。こちらは入門書の一部だし、フッサールの哲学者としてのキャリア全体を大きな観点から眺めるものなので、とっつきやすいはずです。

初期現象学研究については、植村玄輝、「ライナッハと実在論的現象学の起源————包括的研究への序説」(『現象学年報』第27号、2011年)
植村玄輝、「現象学的実在論と感覚の関係説」(『現象学年報』、第31号、2015年)

が日本語で読める代表的な成果です。どちらも専門的な論文なのでちょっと難しいかもしれません。岡山大学ではちょっと手に入れにくいですが、関心のある人にはコピーをお渡しすることもできます。また、

植村玄輝「現象学の伝統における観念論・実在論問題を描き直す」(『立正大学哲学会紀要』、第9号、2014年)

は、世界と意識の関係をめぐるフッサールと初期の現象学者たちの対立をテーマにしており、この対立を経緯を書簡を使って再構成する前半部分は、比較的読みやすいかもしれません。こちらもコピーを差し上げることができます。

現代現象学については、同世代の研究仲間と時間と手間をかけて作った入門書

植村玄輝・八重樫徹・吉川孝編著、富山豊・森功次著、『ワードマップ現代現象学————経験から始める哲学入門』(新曜社、2017年)

をぜひ読んでください(「概説」の授業でも教科書として使っています)。

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