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片桐 真澄(かたぎり・ますみ)

教育分野(領域)

言語学・現代日本語学分野(言語学)

研究・教育のキーワード

言語学、言語類型論、言語普遍性、フィリピン諸語、オーストロネシア諸語、英語、日本語、中国語、対照言語学、ヴォイス

研究者としての私

言語学を研究していると言うとよく「何か国語しゃべれるの?」と聞かれますが、言語学はそのような実用的な「語学」とはちょっと違います。言語学は、言語のしくみを詳しく見て、その下にどのような規則性や多様性があるのかを明らかにしようとする科学です。例えば、日本語と英語は見た目全く違う言語のように見えますし、系統も違いますが、その下には驚くほどの共通点があるのです。

私は元々英語にしか興味はありませんでした。それもそもそも音楽好きからきています。中学から洋楽(ビートルズを原点とするブリティッシュロック)を聴くようになり、それをかっこよく歌いたい、歌詞の意味を知りたいと勉強するうちに英語好きになっていました。
大学ではバンドをやっていたので、歌詞カードもないようなマイナーな曲の聞き取りなどもしました。

大学では教育学部で英語学を専攻していたのですが、3年のときにアメリカの大学に留学し、そこでは(というか日本以外では)英語学という分野はないので、しかたなく?言語学を専攻しました。そこで、南米やチベットの言語など、聞いたこともないような世界の言語がぞろぞろ出てきて、それらの様々な言語現象を科学的に解明しようとする言語学の魅力にすっかりハマってしまったのです。身近な言語である日本語や英語に対する見方も、世界の言語の中ではどのような言語なのかという観点から見るようになり、前よりさらに興味を持つようになりました。そして、世界の言語の共通性や多様性に見られる規則性を明らかにしようとする言語類型論を研究したくて入った大学院では、指導教員がそのときフィリピン諸語を研究していたので、フィリピンへフィールドワークに連れて行かれたりするうちに、フィリピン諸語を専門に言語学を研究するようになったのです。

フィリピン諸語は、ある言語学者が「アラビア語とタガログ語(フィリピンの国語の元になっている言語)をマスターできれば他のどんな言語でも習得できる」と豪語したほど、難しい言語です。その難しさにあえて挑戦し続けることも醍醐味のうちです。他にも、英語や日本語、中国など、世界には様々なタイプの言語があり、それらをいろいろな角度から研究するのは本当に楽しいです。言語を通して世界が広がることを実感できます。

教育者としての私

アメリカの大学に留学していたときに、私は今までの人生の中で(研究者としての期間も含め)一番勉強しました。私のいた大学では週に同じ授業が2、3回あり、そのたびに本を1章ほど読むリーディングと宿題が課されました。それはもう必死です。アメリカにも怠け者はいますが、そういう人はどんどんドロップアウトしていきます。容赦なしです。そのときの経験が私の今の教育のあり方に大きく影響しています。講義をぼーっと聞いているだけでは何も身につきませんし、そもそも主体的に関わらない限り興味自体持てないと思います。自分で本をクリティカルに(問題意識を持って)読み、考え、講義で理解を深め、それを応用する、そういった一連の作業が不可欠だと私は思っています。ですので、私の講義でも、毎回リーディングと宿題が課されます。また、演習の授業では、発表とディスカッションを中心にしています。発表をし互いに批評し合ってさらによいものにしていくということを何度も繰り返すことは、大学の集大成である卒論を書く過程につながるものです。

卒業生にはよく「先生の授業が一番大変だった」と言われます。でも、大学4年間で一番勉強したと言われると、本当に嬉しいです。大学に勉強するために来たという人にぜひ受けてもらいたいです。

私が書いたもの

フィリピン諸語に関する専門的な論文がほとんどですが、ここでは比較的読みやすい日本語によるものだけを挙げておきます。まずひとつは「タガログ語の人魚構文に関する展望」(2010年『岡山大学文学部紀要』第54号)(岡山大学付属図書館リポジトリ)です。人魚構文とは聞きなれない言葉だと思いますが、「太郎は明日東京に行く予定だ」のように、文の半分が動詞述語文、半分が名詞述語文に類似した文のことで、日本語や朝鮮語などアジアの述語末尾言語によく見られる現象ですが、タガログ語のような述語初頭言語でも見られるということを初めて紹介したものです。また、『主題の対照』(くろしお出版、2004年、益岡隆志編)では、タガログ語の主題が日本語と異なり文法的な側面を強く持ちながらも、日本語の主題との共通点も多いことを物語や談話を用いて示しています。

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