教員一覧

山本 秀樹(やまもと・ひでき)

教育分野(領域)

日本語・日本文学分野(日本文学)

研究・教育のキーワード

『雨月物語』、上田秋成、江戸時代の思想、出版法制度、検閲、社会と「文学」、文学研究思潮、言語の構成物としての文学、「文学」とはなにか、近代「文学」になる以前は何だったのか、文学理論(少々)、怪談(少々)

研究者としての私

能力とか環境とか趣味とか性格とか、なりゆきとか、なんだかんだで、結局人はなんだってできるわけじゃない。自分が職業とすることになった(日本語では普通にこう表現するけど、自分のがんばりだけでなれるものではないので、そう「なった」っていう方がやっぱり実感)分野でも、やっぱり性格とかが関係していて、いっつも石橋を叩いて割って外堀ばっかり埋めてるようなところがあった。

学問は証明を重んじる。証明ってことだけで言えば事実関係が一番確実なことなんだけど、「文学」で事実関係で証明できることって、ものすごく限られてる。って言うか、それはもうほとんど枝葉末節に感じられる。「科学には証明できないことがある」って、俗説みたいだけど、それを地でいく感じだ。現代文学には資料が提供されてないから、頭でっかちの屁理屈にまどわされがちなので、古い方へ。「小説」っていうもの自体が、意味を確定しようとすると、ああとも、こうとも言える曖昧さがあってイヤなので、もっと古い、もっと簡単な「物語」的なところへ。「物語」と「小説」のあわいについて考えてる。なので、江戸時代のもっとも小説っぽい造作になってる『雨月物語』なんか、考えてるわけだ。そして、その造り、構造が気になるから、どうしても考えは理論に寄ってかざるを得ない。小説・物語の「言語論的転回」をやりたいってことだ。(「言語論的転回」。googleで検索してみて。)

僕にとってもう人生の陽は沈みかけてる。外堀を埋めて潰す時間はもう残ってない。もう一足飛びに本丸を攻めるしかない。目指すのはやっぱり何でもいいから「真理」だ。ていうより、人文学の学問上の「真理」をどういう風に定位できるか、ってことを考えながらやることだ、と思う。科学はもともとは薬を作り出す実用的なものじゃなく、目に見えないこの世の仕組を解明するものだ。

とかなんとか言いながら、事実にこだわり続けた二、三十年のうちに(運がよかったのか、わるかったのか、)僕だけが気付いてしまった、江戸時代の出版法が場所によってぜんぜんちがうってことを、みなに報道しないわけにはいかない。学問はなんと言っても証明できることを重んじる。事実と理論のあいだで僕は引き裂かれている。

教育者としての私

人はなんでもできるようになるわけじゃない。どんな一流選手でも得意不得意はあるはずで、人文学ならなんでもできるようにならないと――なんて、センター試験の国公立型受験を目指した高校までの勉強、的不可能なことをまずは意識からとりのぞいてもらうようにすることが大事だろう。むしろ「専門」っていうのは、まずはせめて一つだけをとことんやれ、ってことだ、ってぇことをわかってもらわないといけない。もちろん、その一つが、つぎに二つになり、三つになり、そうなると、いっぺんにすべての道に通じてたりもするんだけど、まずは一つだ。

研究ってことを通じてわかることがある。それは結局ほとんどすべての認識は仮説、仮構のものにすぎない、ってことだ。要するに、普通たいていの人はなんでもかんでもその仮説を固定して執着して物事を考えているわけだが(「自分」というものをふくめて)、そんな不自由な、これまでの自分に束縛された状態を脱して、すべてが仮の結びつきによって生じているものにすぎないと体得すること。それを体得した状態で自由に物を考えられるようになること。研究ってことにもし本当にすべての人間にとって修得すべき目的があるとしたら、今言ったことが人文学研究(?)の目的になると思う。

僕の授業の特徴みたいなものがあるとすれば、たいていが目の前にいる学生に合わせて中味を考えるってことか。何に関心があるか、何がやりたいか、とか、聞いてから考えたいので、実は前もって授業内容は考えにくい。講義は学生の人数が多いので、そういうわけにはいかない。だから、いろいろなことをしゃべることになる。「考えるヒント」(by小林秀雄)的なことになる。

私が書いたもの

  • 『江戸時代三都出版法大概――文学史・出版史のために――』岡山大学文学部研究叢書29(岡山大学文学部、2010年(322ページ)*これ以前まったくの想定外だが、江戸と京都と大阪と、江戸時代の出版の三つの中心都市のすべてで出版法はちがっていた。その変遷と平準化の概要を法制学問素人のために説明する。附属図書館にある。
  • 『揺らぎの中の日本文化――原像・怪異・日本美術――』(同タイトルの当時の共同研究プロジェクトに関わっていた、岡山大学等、多くの先生方の共著、岡山大学出版会、2009年)(私は19ページ)*私は文学理論を応用して、『雨月物語』「吉備津の釜」の秀逸な怪談効果の秘密を解き明かしてみました。
  • 「日本語の「神」、その言語論的考察に関する覚書――名詞使用の意味論・上田秋成・吉備津宮縁起――」岡山大学学術成果リポジトリhttp://ousar.lib.okayama-u.ac.jp/journal/rpkp/「文学部プロジェクト研究報告書」「文化の交流、文化の翻訳」(編集者 萩原直幸、発行者 金関猛(岡山大学文学部)2014年)(15ページ)*ネットで見られるのはこれくらい?ことばの意味は、外部と共通しつつ、ズレている個人的なものだということについて書きました。