教員一覧

土口 史記(つちぐち・ふみのり)

教育分野(領域)

歴史・考古学分野(東洋史学)

出身大学/大学院

京都大学文学部/京都大学文学研究科

おもな所属学会

東洋史研究会、日本秦漢史学会、古代学協会

研究・教育のキーワード

東洋史、中国史、古代史、領域支配、郡県制、文書行政、簡牘

研究者としての私

私は中国古代史を一応の専門としています。この分野に興味を持ったきっかけは、ありきたりながら、若い頃に読んだ時代小説や漫画でした。幸いなことに、のちに入学した大学には中国史を研究するための環境・史料が抜群に整っており、そうした環境に刺激を受け、気がつけば中国古代史を研究する人間になっていました。

さて「古代」とひとくちに言ってもかなりの長い期間に渡りますが、私が特に関心を持っているのは、始皇帝を出した秦(紀元前3世紀後半)とその前後の時代です。一般に、秦王朝は短命に終わったと見なされています。確かに、秦が中華を統一(前221年)してから滅亡(前206年)まで、15年程度しかありません。ところがこれはあくまで統一王朝として存在した時間であって、秦が一諸侯であった時代まで含めればかなり長い歴史を有しており、それを含めた秦史はまだ十分に解明されているとは言えません。また、「皇帝」の称号をはじめ、秦が確立した様々な制度は、次の漢王朝にも引き継がれ、さらに日本を含めた東アジアの諸地域に深い影響を与えています。そのため、秦の時代はアジア史のひとつの源流として、重要な歴史的意義を持っていると言えるのです。

秦史を繙くためには、司馬遷の『史記』など文献史料だけでなく、当時の遺跡から出土する木簡・竹簡(両者をあわせて簡牘と呼びます)という考古資料が有用となります。最近では考古発掘の進展によって、秦代の簡牘が陸続と出土しており、その総数は数万にのぼります。出土事例は特に長江中流域、現在の湖北・湖南両省に集中していますが、そこはかつて楚という強国の支配下にありました。秦はまさに中華統一の途上にあって、旧楚の習俗が強く残るこの地域に占領支配を試みたのです。そこで出土する簡牘からは、秦がどのように地方支配を実現しようとしたのか、その実態をリアルに窺うことができるのです。

こうした関心で簡牘を眺めたときに重要となるのが、律や令などの法制史料と、行政機関のあいだを往来した公文書で、現在はそれらを中心に読解作業を進めています。この種の簡牘はかなり豊富に存在しており、研究のネタには事欠かないどころか、あまりに多すぎて最新情報に追いつくのも一苦労という、嬉しい悲鳴をあげています。ただし2000年以上も地中に眠っていたということもあり、多くがバラバラの断片となっていて、そう簡単には当時の情報を語ってはくれません。断片を全体の一部として位置づけ、史料として活用するためには、当時の公文書の様式や、行政機関の構造を知っておかねばなりません。どうすればそれができるかというと、断片を読み解かねばならず……。

ともかくそうした次第で、日々ちまちまとした木屑に書かれた漢字を読み解くという地道な作業を続けています。それだけに、パズルのピースが組み合わさったときの喜びは他に替えがたいものがあります。

教育者としての私

学生のみなさんには、とにかくたくさん書籍を読んでほしいと思っています。現在、雑学的な知識を手に入れるコストは限りなくゼロに近づいています。確かにウェブ検索は便利ですが、既知の単語でしか検索できないという弱点があります。私たちは自らの関心で検索しているつもりでいても、実は既知の世界の内側をグルグル回るだけで、ある意味で「検索させられている」に過ぎないのかもしれません。手持ちの検索ワードの外にある世界に出るためには、知識をただ与えられるものとして受け取るだけではなく、それがどのようにして成立してきたのかというプロセスを追体験することが必要です。

そのためには、やはり多読と精読の両方が欠かせません。そのうえで、読書経験を咀嚼してアウトプットする訓練を積むことです。それを総合的に訓練する機会として、文学部では卒業論文の執筆ということが非常に重要です。大学における学びの集大成として卒業論文を位置づけてほしいと思いますし、学生のみなさんが自律的に学習するための基礎作りをお手伝いしたいと思っています。

その一環ではありますが、授業では基礎的な漢文史料の読解能力を身につけることを特に重視しています。近代以前の東アジアでは、漢文が地域共通の学術用語として用いられてきました。その地位はヨーロッパにおけるラテン語に相似しています。漢文を通じて、私たちは歴史上の膨大な文献にアクセスすることが可能になります。いわば「入庫可能な図書館が増える」のです。

しかし一方で、漢文なんか読めても現代社会には何も役に立たない、という反論があるかもしれません。これに対しては明確にノーと述べておきます。漢文に限りませんが、史料読解においては、辞書や参考書を的確に使用し、史料の一字一句に向き合い、あらゆる可能性の中からより確実な解釈を導き出すという試行錯誤を限りなく繰り返します。このようにして、言葉の解釈にかかわる様々な技法を習得してゆきます。人間が言葉を用いてコミュニケーションする動物である以上、それは極めて広く応用可能な能力と言えるでしょう。

色々と述べましたが、「読めそうな書物が増えていく」という実感は、ただひたすら嬉しいものです。ある分野を集中して学んだあとで図書館や書店に行くと、書棚単位で見える景色が違ってくることがあります。興味の持てる分野、関心の幅が一気に広がるのです。そうした体験を学生のみなさんと共有したいと思っています。

私が書いたもの

『先秦時代の領域支配』(京都大学学術出版会、2011年)
博士論文をもとにした研究書です。秦代に確立した地方支配制度「郡県制」は、以後の中華王朝にも基本的に踏襲されていきますが、本書ではそれ以前、主に春秋・戦国時代を対象とし、郡県制出現以前の地方支配のあり方を検討しています。このテーマには非常に長い研究史があり(そのため何か新しいことを言うのは大変なのですが)、大学院生の頃にそうした問題に取り組んだことで、研究のための筋力が身につきました。

「木札が行政文書となるとき――木簡文書のオーソライズ」(『木簡と中国古代』研文出版、2015年)
博士課程を修了したのちは、やや時代を降らせて秦漢時代を研究するようになりました。当時の木簡・竹簡を用いて、より微視的に地方行政の実態を探ることが、現在の研究テーマです。この論考は、ただの「木のふだ」にすぎない木簡が、いかにして行政の道具となり、人を動かすような権威を帯びるのか、という問題を扱ったものです。もとは一般向けセミナーでの講演を文章化したもので、比較的とっつきやすいものになっているかとは思います。

薦めたい本

宮崎市定『アジア史論』(中央公論新社〔中公クラシックス〕、2002年)
宮崎市定(1901-1995)のアジア史・世界史に関わる論考を選録したコンパクトな書籍です。壮大な歴史観、平明達意の文章、あらゆる意味で「面白い」着想、どこをとっても魅力が尽きません。著者の史観を端的に表す「世界史年表」の脇にある、「世界史はこの年表より簡単にはならない」という一言には、何度読んでも憧れてしまいます(本書110頁)。20世紀東洋史学者の最高峰である宮崎先生の文章と最初に出会ったのは、大学に入って三年目、ようやく所属する研究室(東洋史学)が決まった頃でした。のちに東洋史を研究する者としては遅すぎるくらいです。もちろん、その当時は自分が将来研究者になるなどとは考えてもいませんでしたし、そもそもどの研究室に所属するかも決めかねていた優柔不断な学生だったので(不勉強の言い訳にはなりませんが)、東洋史の本を読んだ経験も実に乏しかったのです。とはいえ、前提知識や先入観なしにその文章に触れ、自由に読み進めることができたのは、幸せなことだったと今では思っています。なお、『宮崎市定全集』(岩波書店、全25巻。附属図書館で読めます)ではなく本書を取り上げた理由は、広く歴史というものに興味のある方にはいますぐにでも購入して読んでいただきたいからです。

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